ランタン山域(ネパール)トレッキング日々の記録 2006年1月2日

1月2日

 6:20、起床。昨夜は、廊下の人の話し声や隣室の物音、少し遠くから聞こえるアナウンス等で時々起こされ、寝不足ぎみである。それでも、ロビーに居るよりは体は休まる。
 6:40頃、Day Roomをチェックアウトし、近くのタイ航空カウンターでe―チケット扱いの搭乗券を受け取った。この時、成田でチェックインした荷物がカトマンズに向け引き継がれていることを確認した。ヒマラヤが見える右側の窓側を頼んだが、既にそれらは満席だったので、右側の窓の近くの席にしてもらった。また、帰りのUAの航空券のリコンファームが必要かどうか確かめるため、UAのゲートやカウンターを探したが見つからなかった。インフォメーションに聞くと、UAのオフィスは外(タイに入国する必要あり)とのことであった。オフィスの電話番号を教えてくれ、無料電話がすぐ近くにあるから自分でかけてくださいとのことであったので、電話し、確認をする。次に食べ物を探したが、価格表示がほとんどバーツのため、2000円をバーツに換金。レートは、0.341バーツ/円。軽食スタンドで、ワンタンスープ(240B)と菓子パンを食べる。寿司も売っていた。私の隣で欧米人が寿司を箸で食べていたので聞くと、デンマーク人で、初めて寿司を食べたのはグルノーブルとのことであった。
 搭乗予定時刻の2時間前(7:50)にゲートに行ったが、入れず、廊下の椅子で待つ。
 10:40バンコク発。座席は、3人掛けの通路側であった。窓側の2人はインド系ネパール人の夫婦。日本はネパールに対する最大の援助国であり、アジアの国であり、ロシアを破った国でもある等々なので、世界の国の中で最も日本に親近感をいだいているとのことであった。(もちろんアメリカやイギリスよりも)
 ヒマラヤが近づくと、窓側の席を代わってくれた。初めて見るので識別はできなかったが、カンチェンジュンガ、エベレスト、ランタンも見えた。カトマンズ盆地周辺の山々は、ほとんどが段々畑となっており、山の上まで人が住んでいる。
 12:55(現地時間、日本から3:15遅れ)、カトマンズ着。晴れだが、スモッグも混じった靄(もや)がかかっている。思っていたより暖かい。3月下旬の感じである。 ホテルのシャトルバスのプラカードに従いバスに乗り込んだ。バスの容量(5人乗り程度)の割に係員が多い。荷物を運んだことに対するチップをくれというので、3人に1ドルずつ渡し、残り2人はそれをシェアするように言い、振り切る。後で考えると、何人かはホテルとは関係ないようだ。他に日本人が2人来るということで、しばらく待たされた。結局来たのは、最近毎年数ヶ月ずつ小児病院で働いているというアメリカ人医師。寺院など、ネパールが気に入っているようだ。去年の今ごろは通りに戦車がおり人も多かったが、今年はそれに比べると静かだそうだ。また、マオイストは$20取り、領収書を発行し、次からはそれを見せれば取らないと言っていた。排気ガス等で空気が汚れているのを実感した。
 14:30頃、ホテル着。チェックインした後すぐに銀行へ行き、ルピーに両替する。最近円が弱くなっており、ガイドブックに書いてあるレートより悪い。地図には銀行とあったが、現地に行ったら、職員一人と警備員一人の両替出張所だった。その足でNEX(車を手配してもらった旅行社)へ行き、ラジュ社長と打合せ。明日の夜用の和食弁当を予約注文してもらう。高山病対処薬ダイヤモックスもくれた。その後、ホテルへ戻り、砂防の専門家武士さんへのみやげを取ってくる。間もなく武士さんがNEXに来るというので、堀田氏に状況をメールしようと試みながら待つ。結局、何度やってもインターネットにつながらず、武士さんが、日本からの家族と共に来たので、みやげを渡す。
 ホテルへの帰路、地図とくだものの缶詰を買う。母子と思われる物乞いの女性に$1渡すと、更にくれと、子供にしばらく付きまとわれた。
 日本料理店で夕食。270Rs。19:30に、街が停電になった。ろうそくの下で食べる。代金を支払う時に、今日は19:30から21:00まで停電させると予告されていたということを聞いた。ホテルへの帰り道が危ないと店を出る前には思ったが、通りへ出たらそれほどでもなかった。ホテルの近くの一部の店とホテルは、自家発電で明るかった。ホテルでは、シャワーを浴び、下着等を洗濯をし、ホテルに残していく荷物と山に持っていく荷物とを分け整理した。寝袋と防寒の衣類がかさばっている。
 部屋には電気温風器があったが、送風機の音がうるさいので、寝る時には切った。毛布の他に掛け布団が1枚あり、これを掛け、更にモンベルのクリマプラスのズボンをはき、フリースの中間着を1枚着て寝た。適度であった。